闇の住人

 

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 いつから僕はこの窮屈な体勢でいるのだろうか。というよりも、今のこの体勢がきゅうくつかどうかすらも、僕には分からない。暗闇の中に放り込まれて、恐らくは丸1日が経っているのだろう。

 黒色で塗りつぶされたような空間は、もうとっくに慣れたはずなのに、未だ何も見えることが無い。それは暗すぎるからなのだろうか。もうどこが右なのか、どこが左なのか、上なのか下なのか、方向感覚はメッチャクチャだ。

 

 でも、そろそろ明るい時間が訪れそうだ。

 暗闇の向こう側で物音が聞こえていた。物音はどんどん近くで聞こえるようになり、大きな振動を伴ってきた。ようやくだ――。この現象が起これば、僕は一時だけ暗闇から解放される。僕にだって理由は分からない。でもいつだったか、ここに来た時から、この物音と振動が僕にとってのサインになったんだ。

 

 その時だった。

 僕は何かの力によって逆さまになって落ちていく。

 赤、黄色、緑など、視界を色とりどりの物体が通り過ぎていった。

 依然、身動きは自由に取れないが、目の前には大きな大きな平地が広がった。ところどころに上れそうもない障害物が転がっている。そして何よりも、目が突き抜けるほどに眩しい光が降り注ぐ。

 

 この明るい時間は定期的に訪れる。1日に1回か、もしくは2回。僕はこの時間が大好きだ。そりゃあ暗闇なんかよりも明るさが欲しい。でも、僕がこの時間を欲するのは、それだけが理由じゃない。

 少し遅れて、彼女が空から舞い降りたように僕の前に立った。

 

 やっと会えたね。

 

 僕はこのために生きている――そう言っても過言ではない。

 彼女は相変わらず美しかった。

 肩まで掛かった金髪は、この空間の光を全て吸い込んだような輝きを放つ。もちろん髪だけではない。くいっとカールした睫毛に汚れのない真っ黒な瞳、今にも弾け飛んできそうな艶のある肌、彼女を構成するどれもが美しさに満ちている。

 ――でもおかしい。

 

 少しだけ、彼女はくすんで見える。いつもは見ているだけで眩しいはずの肌なのに、頬や首元などがところどころ黒ずんでいるせいだろう。何があったのか聞いてみるべきか。いや、でも万が一彼女が気分を悪くしてしまったら――。

 

 きっと彼女も僕と同じで、暗闇の中の住人だ。光を浴びる頻度があまりにも少なすぎて、真っ黒い空間が肌にまで浸食してしまったのだろう。と、言うことは、きっと彼女から見た僕もくすんでいるに違いない。

 ま、それでも彼女の美しさに変わりはない。

 さて、今日もこの時間を楽しむとしよう。

 

 こんにちは、元気だった?

 

 ん?僕かい?元気では無かったかな。でも君に会えてとても嬉しいよ。でもね、気になることがあるんだ。今回はどれだけの時間を君と過ごせるのかってこと。僕はできることなら、君と一緒に居たい。ずっとね。

 

 君もそう思ってるの?なんてことだ!すごく嬉しいよ。……ところで君は、今の生活をどう思ってるかな?

 

 僕かい?僕はね、最初は逃げ出したくて逃げ出したくて堪らなかったんだよ。いつまで経っても真っ暗だし、狭いし窮屈だし、地獄のような日々だったんだ。でも変わった。というよりも、君が変えてくれた。こんな毎日でも、君と会えるなら頑張ろうって。本気でそう思ったんだ。

 

 え?君も変わったんだって?なんだか今日は嬉しいことばかり言ってくれるね。

 

 ……ねえ、聞いてもいいかい?あっ、やっぱりなんでもない。

 

 ん?いや本当に何もないんだ。ちょっと気になるだけで……。

 

 本当にちょっと気になるだけだよ……。

 

 今日は、いつもよりも長い時間を彼女と向き合っている感覚がした。それは、きっと僕が普段以上に緊張しているからだ。なんだか君と向き合って話すことに苦労をしてしまっているんだ。その格好のせいで。

 ――もう言ってしまおうか。

 僕はおそるおそる聞いてみることにした。

 

 君は一体なぜ、服を着ていないんだい?

 

 普段は衣服で隠れているところは、生まれたままの肌を保っているような艶があった。僕は久しぶりに、彼女のありのままの姿を見てたじろいでいる。だってどこを見ればいいのか分からない。少しでも油断したら、すぐに2つの膨らみに目は奪われてしまう気がする。

 

 君だってそうだろう?もしも僕が裸だったら……。あれ?なんだか涼しいと思ってたら、僕も服を着ていないじゃないか。なんてことだ――。

 

 僕は穴があったら入りたい気持ちになった。あまりの恥ずかしさに顔じゅうが赤くなっているような気がした。彼女が服を着ていない時は、今までも時どきあったことだ。

 でも、僕が服を着ていないことは、今回が初めてだ。

 

 なぁ、君はこんなに恥ずかしい思いをしていたのかい?

 

 それでも僕は、それほど服を着たいとは思わなかった。別に露出が嬉しいわけでは無い。ただ、彼女の気持ちが分かることで、彼女と同じ格好をすることで、今までよりもずっと彼女と近付けたような気がした。彼女が僕に向ける眼差しが、ぐっと強くなったような気がした。これはとても嬉しいことだ。

 

 服の話はもうお終い?そうだね。じゃあ……どうしようか。

 

 え?自由になりたい?……そんなこと僕だっていつでも思ってるよ。

 

 うん、自由になりたいよね。なぁ、僕らは一体いつになれば自由になれるのかな。

 

 僕が君と一緒になるためには、何をすればいいんだろう。

 

 分からない?そっか、そうだよな……。

 

 当然だが、こんなことを聞いても彼女から明確な答えは返ってこない。それは分かり切っていたこと。もしも彼女が自由になれる方法を知っているのなら、もうとっくに自由になっているだろうに。

 あぁ、自由になりたい。自由になって彼女と1日中くだらない話をして、夜になったら一緒の布団に入ってどっちかが眠るまで手を繋ぎ合って、朝になって目が覚めた君に起こされたい。

 

 なぁ、君はどう思ってるんだい?僕に教えてくれないか――。

 

 僕が問いかけた、その瞬間だった。

 彼女は突如視界から消えた。そして、いつものように遠くのほうで、暗闇の入り口を合図する音がなる。それは、僕が暗闇の中に戻るときと同じ音だ。分かっていたことだが、ついに今日もこの時間が来てしまった。

 

 寂しいよ、会いたいよ、まだ話したりないよ。

 僕も、もうそろそろなんだろう。決まって、彼女が姿を消してから少しして、僕も暗闇の世界に戻っていくのだ。

 

 ほらきた。

 予想通りに僕の身体は持ち上げられ、得体のしれない物体がひしめく中に放り込まれた。微かに残る光の中で、赤、黄色、緑などの色とりどりの物体が視界に入る。そして、耳障りの悪い音とともに、空間は真っ黒い暗闇に支配された。

 

 さようなら。その言葉は君に伝えよう。おそらく別の暗闇の中にいる君に。

 次はいつ会えるのだろうか。そんなことを考えている間に、僕はいつの間にか暗闇に慣れてしまっている自分に気が付いた。どっちが上か分からないが、僕は思いっきり空を見て彼女のことを思った。

 

 

 

 

 地鳴りとともに、暗闇の向こう側で声がする。

 大人の女性の声と、幼い子どもの声。

「ちゃんとお片付けしたの?」

「うん。やったよ!ママ!」

 いつになったら、僕は自由になれるのだろうか。