志願者



 

 

 

 祥子が姿を消してから2週間が経った。

 趣味もなく、友達もいない。何も楽しみがない良太の日常のなかで、祥子は人生そのものだった。

 

 祥子が家を出てから数日間は、それはもう慌てて迷子になった幼児のように泣き喚いた。繋がらない番号に何度も電話をかけ、闇雲に街の中を探し続けた。しかしだんだんと祥子が戻ってこないものだと認めはじめ、習慣に支配されたような生活を送るようになってしまった。

 

 そして今日も最寄駅からの帰り道、直線で帰れるところを遠回りして、暗闇の街を彷徨っていた。ぐるりとコの字型に回るこの道が、良太には有難かった。人っ子一人歩いていない道路は、泣いたっても叫んだって誰からも視線を浴びることは無い。

 

 もう、死んだほうがいいのではないか――いや、死んだ方が楽なのではないか――そんなことを考えながら踵を引きずって歩いた。

 

 「なんだこれ……」

 それは廃墟のガソリンスタンドに見えた。

 白い壁面に囲まれた、車が10台ほどが入る建物が目に飛び込んだ。屋根からぶら下がった電灯は、その区画のみを真っ白い光で照らしている。

 

 良太は気味悪がった。

 この場所は普段からよく通る場所だった。しかし、このような建物を目にするのは初めてだったのだ。それに新しいビルでも無ければ、コンビニでもない、いつ建てられたのかも分からない廃墟のような建物なのだ。

 

 そして何より、壁面に無造作な間隔で残されたメッセージが、おどろおどろしさに拍車をかけていた。

 

 『この世に希望はありません。あの世が素敵でありますように』

 『素敵な人生でした。もう未練はありません』

 『死ぬことくらいは僕に選ばせてほしいんだ』

 

 ペンキとマジックペンの間くらいの太さで、しっかりとした筆圧で書かれている。

 きっとこれは最後のメッセージなのだろうと、良太は思った。そして壁面を見渡すと、その隅っこに地下へと続く階段が見えた。階段の手前には『志願者はこちら』と赤字で書かれた看板が立てかけられている。

 

 良太は階段に向かって足を進めていく。重力がなくなったように足取りは軽い。まるで大きな掃除機に吸い寄せられているように、いつの間にか階段の入り口に着く。階段は人ひとりが通るのにはちょうど良い広さで、先は真っ暗闇で何も見えない。でも不思議と怖さは感じない。

 

 「もう終わりにしようかな」

 良太はそう呟いて踵を浮かす。

 その瞬間、スマホが振動した。

 

 「……はい」

 「おう、いま平気か?」

 電話の相手は良太にとって唯一の友人だった。

 

 「いま忙しいんだけ――」

 「祥子ちゃん見たってヤツがいる」

 「え」

 「いま一緒にいるんだけど、お前これるか?」

 「あ、す、すぐいく」

 

 なんてことだ。

 良太は駅まで走った。途中の大通りでタクシーを止めて、飛び乗った。

 

 祥子を見掛けたという情報に驚いたのはもちろんだが、祥子のことを知っている人がいることにも心底驚いた。祥子はもともと内気な女で友達なんて居なかった。良太との出会いも、ホームレスだった彼女に食べ物を買い与えたことがキッカケだった。そのため彼女を知っている人に出会えるなんて、奇跡に近い出来事だった。

 

 良太は待ち合わせの場所で、祥子の同級生だと名乗る男に会った。

 男は、友人の職場の同僚であり、祥子とは同じ中学に通っていた同級生であった。聞くところによると、祥子らしい女は1、2週間前に男の家の最寄り駅で見かけたという。そして男の家の最寄り駅は、偶然にも良太と一緒だった。

 

 出口のないトンネルに光が差し込んだような気分になった。

 良太は男と連絡先を交換した。そして男は祥子を探すことに協力的な姿勢を見せ、良太はそれに大きな期待を寄せた。明日から本格的に探さないと――そう思いながら、久しぶりに落ち着いた夜を味わいながら布団に入った。

 

 

 

 

 良太は祥子を見つけるために奔走した。

 男に協力をしてもらい、同級生と名乗る数人に会ってみたり、その彼らにも協力を仰いだりした。最寄り駅でも祥子の写真を使いながら、無差別に行きかう人々へ聞き取りをしていった。

 

 これといった情報はなかなか得られず、祥子との思い出の場所も巡り歩いた。行きつけだった喫茶店、初めて出会ったガード下、駅近くの公園、そのどれもにしつこい位に通ってみた。が、やはり祥子は姿を見せない。

 

 手掛かりは掴めず、1週間以上が経った。再び、駅からの帰り道を遠回りすることが増えた。コの字型に回って帰るその道は、やはり自由に表情をぐしゃぐしゃにできた。

 「祥子……」

 もう一度、会いたい。その気持ちだけだった。

 

 良太は次の日も、その次の日も探した。しかし、祥子はどこにもいない。

 そして協力を仰いだ男とも、その同級生とも、次第に連絡が取れなくなっていった。二日、三日と、“既読”をしてから時間が経ったが、うんともすんとも言わない。良太はなんとなく、仕方がないだろうと感じ始めた。

 

 ――お前は捨てられたんだよ。

 心の声も無視できないくらいに大きくなっていった。

 

 きっとそうなんだ。自分は現実を直視してなかっただけで、祥子の時間は今もどこかで動いているに違いない。

 男からは一切の連絡が来なくなった。

 祥子を改めて探し始めてから、二週間が経っていた。

 

 

 

 良太に、習慣に支配された生活が戻ってきた。

 今日も最寄駅からの帰り道、直線で帰れるところを遠回りして、暗闇の街を彷徨う。ぐるりと回るこの道は、人っ子一人歩いていない。もうなんでもいい――良太は涙を拭うことも忘れて歩いた。もう、死んだほうがいいのではないか――いや、死んだ方が楽なのではないか――そんなことを考えながら。

 

 「これは……」

 それは二週間前に見た、気味の悪い建物だった。

 

 白い壁面、吊るされた真っ白い電灯、強い筆圧で書かれた言葉の数々。そして建物の隅っこには地下へと続く階段がある。

 良太は吸い寄せられるように、階段へ足を進めていく。すすす、と体は移動をして、気がついた時には階段の入り口が目の前だった。

 

 「もう終わりだ」

 そう呟いて、良太は踵を浮かした。

 そのとき、階段のすぐ上に書かれた文字が目に飛び込んだ。

 

 『ごめんね、良太』

 ああ、なんだ。ここにいたんだ。

 良太はゆっくりと階段を下っていった。